NHK朝ドラ『ばけばけ』で、俳優の寛一郎さんが演じる山根銀二郎(やまねぎんじろう)。
物語ではヒロイン・松野トキ(髙石あかり)の最初の結婚相手として登場します。
この人物には、実在したモデルがいます。
それが明治時代の士族・前田為二(まえだためじ)さんです。
彼は、のちに小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)さんの妻となる小泉セツさんの最初の夫でした。
短い結婚生活の中に、時代の変化に翻弄された一人の青年の姿がありました。
今回はそんな前田為二について解説していきたいと思います。
鳥取の足軽の家に生まれた前田為二
前田為二さんは、安政5年(1858年)ごろに鳥取藩の足軽の家に生まれました。
足軽は武士の中でも下位にあたる身分で、経済的には決して恵まれていません。
幼い頃から厳しい暮らしの中で育ち、家族には「武士の誇りを忘れるな」という強い教えがありました。
明治維新によって身分制度が変わっても、世の中の意識がすぐに変わることはありません。
“下級武士”出身という見方は根強く残り、為二さんにとって重い現実となっていきました。
小泉セツとの結婚と婿入り
明治19年(1886年)、28歳の前田為二さんは、出雲松江の稲垣家に婿入りし、18歳の小泉セツさんと結婚します。
セツさんの家もまた士族でありながら生活は苦しく、織物工場で働いて家計を支えていました。
二人は文学が好きで、浄瑠璃や近松門左衛門の作品を語り合うことが多かったといわれています。
穏やかで理解し合える関係だったようですが、現実の暮らしは厳しさを増していきました。
家族の重圧と出奔
婿入りした稲垣家には、働かない義父と厳格な義祖父がいました。
彼らは家計を立て直す努力をせず、家の誇りや格式ばかりを重んじていたといいます。
そのため、若い為二さんが一家の生活を支える役目を担うことになりました。
しかし、貧しさと重圧は限界を超え、為二さんは結婚から1年も経たないうちに家を出ます。
行き先は大阪。
何も言わずに姿を消したこの出奔が、セツさんの人生を大きく変えることになります。
セツが大阪へ向かった日
夫が行方をくらましたことを知ったセツさんは、旅費をかき集めて大阪へ向かいました。
明治初期、松江から大阪までの旅は簡単ではなく、女性ひとりで行くには危険も多い時代です。
それでもセツさんは、どうしても夫を連れ戻したかったのでしょう。
しかし、大阪での再会は冷たいものでした。
為二さんは帰ることを拒み、セツさんの必死の訴えにも応じませんでした。
そのときセツさんは、橋の上から川に身を投げようとしたと伝わります。
けれども、家族の顔が頭に浮かび、思いとどまったそうです。
離婚とその後の人生
1890年(明治23年)、二人の離婚が正式に成立しました。
セツさんは実家の小泉家に復籍し、翌年に小泉八雲さんと出会います。
この出会いが、のちに日本文学史を動かすきっかけになります。
一方の前田為二さんは、その後も大阪で暮らし、商いに成功したという記録が残っています。
詳細は不明ですが、生活を立て直し、静かに人生を終えたと考えられています。
「鳥取の蒲団」に残る記憶
小泉八雲さんの作品『知られぬ日本の面影』に登場する怪談「鳥取の蒲団(とっとりのふとん)」は、セツさんが八雲さんに語った物語として知られています。
この話のもとになったのが、かつて前田為二さんがセツさんに聞かせた怪談だったといわれています。
つまり、短い結婚生活の中で語られた一つの物語が、のちに世界的な文学へとつながっていったのです。
まとめ
山根銀二郎のモデル・前田為二さんは、明治の社会の中で翻弄された一人の青年でした。
貧困、家のしきたり、家族の重圧、そして別れ。
そのすべてが、小泉セツさんの人生や文学に影響を与えています。
『ばけばけ』を見ているとき、山根銀二郎という人物の背後に、この実在の前田為二さんの姿を重ねてみると、物語の深みがより鮮明に感じられるのではないでしょうか。
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